

南相馬からの便り

年12月初旬に、NHKでショッキングなニュースがありました。
釧路湿原に、広大な範囲にソーラーパネルの海が出現したとのこと。
東京ドームが6個分。
福島の浜通りは、太平洋沿岸が津波と原発事故によって、居住不可の土地になって、
そこにソーラーパネルの海が出現しています。
南相馬から福島市に行く途中も、いたるところ山が削られ、
不気味な黒い津波を思い出させるパネルが敷かれています。
木を伐採し、山肌が削られていく様に自然界の悲鳴が聞こえてくるようです。
政府はやっとメガソーラーの規制に動き出しました。
原発に頼らないで自然エネルギーを活用する太陽光発電は確かに有用な策と思いますが、
環境破壊と景観の破壊、
そして耐用年数を過ぎた時の解体処理にどのような問題が発生するのかなどは未知数です。
原発のような危険はないとしても、リサイクルにも大変なコストがかかるようで、
なかなか難しい問題のようです。
ただ野放図に広がっていくのだけは何とか食い止めないと、
ここ浜通りは、日本一美しい里山の地域から、
日本一景観の悪い地域に転落してしまうのではないかと思います。
政府の規制は、2027年度からとのことで、遅いとは思いますがやらないよりましなので賛成です。
風力発電も問題ありのようです。南相馬市の北の方の鹿島区に、
風力発電の風車が設置されていますが、
「夜中でもブンブンという音がするので気になり始めると眠れなくなったりする」とか、
非常に敏感な人には、風車からの空気の振動や地を伝って感じられる振動で、
眠れなかったり頭痛の原因になったりするようです。

人間の作るものは、どんなに頑張っても、完璧なものはありません。
新しい技術でより良いものを開発し、
より便利でより豊かな生活ができるのは素晴らしいことですが、その過程に一人一人の、
より小さく、より無力な人が大切にされる技術の開発を心がけていただきたいと思います。
そしてリスクに対して それを解消できる技術も同時に開発することを願いたいです。
小高に完成するロケット宇宙産業IST社にも願いたいです。
(2025年12月20日の福島民報誌)

皆さん長い間わたしの召命物語に付き合ってくださってありがとうございました。
このあたりで「召命物語」はおしまいにしようかと思います。
終りに当たって八十余年の生涯を神様と、
関わってくださったすべての方に感謝を込めて
「私のマグニフィカト」の祈りを捧げます。
私のマグニフィカト(感謝の祈り)
わたしの魂よ、主をたたえよ、
わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ
わたしの魂よ、主をたたえよ、
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない(詩篇103:1,2)
主よ、八十余年という長い歳月の、
一日一日をあなたの慈しみ深い愛で満たしてくださったことを感謝いたします。
人間的にも、信仰者としても、奉献生活者としても成長させていただき、
幸せな歩みをたどらせていただいたこと、感謝の言葉が見つかりません。
豊かな恵みに満たされた日々を思い返す時、
そこにいてくださった一人一人のみ前に感謝を伝えたいと思います。
でもあまりにも多くの人、そして今は亡き人、遠くにある人、
数えきれない人と数えきれない出来事を前に、私は自分の小ささを感じます。
神様のお心を通して、
すべての人に心からの感謝を伝えていただくしか方法がありません。
また、嬉しいことばかりではなく、
思い出から排除したいようなことも沢山あります。
でもそのことを通して今の私があることを思うと、この痛い思い出も感謝の泉です。
とりわけ、私が絶対なりたくないと思っていた学校の教員として過ごした
17年間の最初の頃、人格分裂を起こして、立ち直るのに5年間かかったあの時期は、
私の宝となった体験でした。5年間本当にしんどい日々でした。
自分が廃墟の中に裸で立っているあの感覚は忘れられません。
その廃墟に立っているのは赤ん坊のようになった私です。
霊的指導者と共に歩み、長い長い霊操の時をくぐって、御父に出会えた、
体に背骨がバーンと入ったと感じた体験。
そこからあれほど逃げようとしていた学校を自ら受け容れていくことができた、
自ら自分の派遣の場、「イエスと共に生きる場」として受け容れることが出来た、
主の憐れみと慈しみの恵みは、私の存在の核に刻まれた恵です。
学校の事務局と教員を合わせて46年間も学校での使命を生きさせていただきました。
また、自分の痛み、原発被災地で感じる人々と大地(地球)の痛みを、
当事者となって共に苦しんでくださるご聖体のイエスの痛みに合わせて捧げる
聖体的ミッションが今の私を活かす大きな恵みです。
母マリアのように、「この身になりますように」と祈りながら。
これらのことを通して、
父なる神と主イエスと聖霊の交わりの中に生きる喜びを私はいただいてきました。
主からの無償の恵みとして!!
わたしの魂よ、主をたたえよ、
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない
今日までありがとうございました。皆さんおすこやかにお過ごしください!
援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
昨年11月にカリタス南相馬のスタッフ研修で奥会津の
「柳津西山地熱発電所」の見学に行きました。
原発反対と言うだけでは不十分で、
原子力発電に代わる再生可能エネルギーを考えないといけないと思います。 太陽光発電や、風力発電が盛んに新設増設されていますが、
どれも問題ありと聞きます。
小高には空き地に、やたらと太陽光パネルが立ち、
景観を害すること(津波にあった方は、パネルがあの黒い津波に見えて気分が悪くなると言われます)、
また耐用年数を過ぎた時、どんな問題が起こるのかまだ未知数です。


日本は地熱エネルギーの埋蔵量は世界第3位と豊富にあるのですが、
あまり活用されていません。
理由は、国定公園や温泉地に近いという理由で国の許可が下りなかったり、
温泉地の地域住民の反対 などで実現が難しいことと、
やはりコストが高くつくことです。
利用可能な源泉を掘り当てるのはなかなか難しいとのことです。
温泉が出るところであれ ば地熱発電ができるのかと
簡単に考えていたのですが、
温泉よりも深く、もっとマグマに近い高熱の蒸気が噴き出るところを
探し当てて掘るという大変な技術も必要で、
思ったより大変なことがわかりました。
それでも、技術の進んだ現代、もっと真剣に開発を進めるべきと思います。
コストを重視するのか、
温暖化の被害を軽減して後世に美しく住みやすい地球を渡すのか?
私たちの姿勢が問われていると感じました。
これは笑い話ですが、カリタス南相馬ではコロナ以降、
朝礼で体温を測る習慣が出来ていて、体温計を額でなく腕で測っています。
真冬でも半袖の人がいて、腕で測るとlowで測れないので、
半袖の腕まくりして測ると辛うじて36度が表示されます。
12月に入っての初めての寒波の日、腕まくりしてもlow。
誰かが「額で測ったら?」と。
額で測ったら、なんと36.8度と出たので皆びっくり!!
「地熱 (ちねつ)でなくて、頭熱(づねつ)だね!!」と爆笑。

暁の星学院在職中の特記すべき出来事を飛ばしてしまったので、
ちょっと話は後戻りするのですが、お許しくだ さい。
2016年の12月20日のこと。私もそろそろ75歳を迎えようとしているので、
次の人のことを相談するために、理事長のシスター石井に来年度のこと、
暁の星の将来のことを相談していました。
シスター石井は「私はもう3年くらいは理事長を続けてもいいよ。
自分は血圧も心臓もどこも悪いところはないから、
2,3年は続けられると思う。
その2,3年の内に次の理事長さんを田中さんにお願いしようと思っているので、
徐々に引き継いでいけたらいいと思っている。
来年度は中高の校長を小野田先生にお願いしているので、
私は高校3年生の宗教を担当しないで、校長先生をサポートします。
信者さんでないので、学校の宗教的な面でのサポートがいると思うので...。
あなたの事務局長の件は、もう少し待って!!」と。そして2017年の年が明けました。
3学期が始まる前の1月7日土曜日の夜、そろそろ休もうかと思っていた時、
「大変!!救急車を呼んで。シスター石井が・・・」
その日、シスター石井が夕食を作って、みんなと楽しく夕食を済ませたので、
突然の事態にみんな動転しました。
午後11時過ぎに病院から死亡の確認の連絡があり、私は途方にくれました。
たった2週間前に、元気だからと話して、
新しい校長先生のサポートを約束していたのに・・・
学院はどうなる?理事長は???
校長を退任して、援助マリア修道会アジアパシフィック地区長に
就任したシスター朝廣に泣きついて、2年間だけという約束で、
理事長を受けていただきました。
新しい校長先生のサポートは、仕方がありません、
「私が引き受けるしかない!と覚悟を決めて新年度を迎えました。
「案ずるより産むがやすし」とはよく言ったもので、
新校長の小野田文明先生は、私の支えなど全く必要ないほど、就任の挨拶から、
新年度の全校生徒への訓示など聖書の言葉も交えながら、
立派に暁の星の精神を受け継いで、お話してくださいました。
小野田先生は、シスター石井から暁の星の教育方針や、
援助マリア会の創立者の世界・社会に開かれ、
時代の必要にこたえる精神を聞かれて、
その方針に賛同して校長を引き受けてくださったと聞いていましたが、
本当に私の出る幕もないほどによく理解いただいて、
教員集団をまとめ、生徒たちにもそれを伝えていっていただきました。
感謝してもしきれないほどです。
理事長については、シスター石井から田中靖氏に伝えてあったようで、
2年後の2019年に シスター朝廣から引き継いでいただきました。
はじめは理事長のお話は固辞されていたのですが、
ある時、田中様が シスター朝廣に会われて、
「実は、シスター石井が夢枕に立って、『暁の星をよろしく』と頼まれた。
これはもうお受けするしかないなと思ってまいりました」とのこと。
田中様と援助マリア修道会とは、不思議なご縁で、
援助マリア修道会の最初のミッショネールが福山に着いて、
しばらくの間お世話になった恩人のご親族と結婚されていました。
きっと、シスター石井が天国で、
マリア様にお願いして神様のお許しをいただいてくれたのだと、
私はバンザーイをしました。
今もメールマリーイレーヌをはじめ、
たくさんのシスターたちが天国でとりなしてくださっていると信じています。
今日はここまで。皆さん風邪をひかないでお元気でお過ごしください!
援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
明けましておめでとうございます。
午年生まれで、干支が7回めぐって、今年84歳になります。
お年賀状の納め時かと思います。多くの方に支えられ、助けられて、
今までつつがなく過ごさせていただいたことを心から深く深く感謝申し上げます。
おかげさまでこの年まで、大した病もなく、元気にすごさせていただきました。
毎朝さわやかに目覚め、毎日おいしく食事をいただき、健康に恵まれ、
神様と周りの人々から大いなる愛を注いでいただき、
日々を感謝の内に過ごさせていただいたこと、
これからの未来は「馬来行久(うまくいく)」と信じて歩んでまいります。
どうぞこれからも変わりなく、支え、導き、愛深く、
かかわり続けていただきたいと思います。
新しい年もどうぞよろしくお願いいたします!!


去年の夏のこと
確か8月8日のこと
小高工房からの帰り道、若い男性の一群、
いやあっちにもこっちにも男性ばかりの群れ。
日頃見かけない光景に「おや?!」と思う。交流センターの広場で、
そのグループの一人と思われる人に出会ったので、
「今日は何か行事があってるのですか?」
と問いかけたところ、
「宇宙開発の研究会をここでやってるんですよ。
全国から400人くらい集まっています。」
「えぇ~すごいですね!昨年小高でロケットの
発射実験がありましたね!?
よい研究会でありますように!」というと、
「この街の復興に役立つよう頑張ります!」と言われました。
翌日の新聞に、この記事が出ていました。
ロケットを気球で成層圏まで運んで、発射させる取り組みです。
それによって大幅なコスト削減になるとのこと。内閣府の宇宙開発、
文部科学省、
経済産業省の後援を得て、南相馬市の「アストロエックス」社が開催し、
浜通りにおける宇宙産業の可能性を探ろうとしているとのこと。
昨年10月ごろだったと思うが、小高区海老沢の広っぱで、
ロケットの打ち上げ実験が行われました。
小高区の海岸沿いは、津波と原発の被災地で、
幸か不幸か居住不可の地域が多く、
ロケット発射に最適な地域だと思う。
今度発射実験があったら見に行ってみたいと思っている。

フクシマに派遣されて、私は喜びと同時に複雑な気持ちになりました。
出来るだけ多くの被災者の方と関わり、
いろんなお話を聞かせていただきたいと思ったのですが、
関わるときの注意点としていくつかのことを指摘されたのです。
まず、こちらから決して被災のことを聞き出さないこと。
どこのどなたかとお名前を聞かないこと、
住んでおられる所を聞かないこと、相手の方が話されるまでは、
こちらから根掘り葉掘り聞かないことなど。
では、どうやってかかわるのだろう?と思案しました。
相手の方のお気持ちを尊重して関われば、
あとはまあ、なるようになるさ、という感じで関りが始まりました。
相手の方にこちらから質問するより、自己紹介の形で、
「私は広島県の福山というところから来ました。」というと、
たいていの方が、「そんな遠いところからどうしてここへ?」と聞かれます。
そこで私は、「広島の原爆で父が爆死したので、
原発の爆発の時のキノコ雲を見て、
他人ごとではないと感じて、一緒に住みたいと思った。」ことを話すと、
皆さん大体原発事故の時のことを話してくださいます。
中には私と同じ年のご婦人が、「原爆の歌を覚えてるよ」と、歌い始め、
♬ふるさとの町 焼かれ、身寄りの骨埋めし 焼け土に 今は白い花咲く
あぁ許すまじ原爆を 三たび許すまじ原爆を 我らの町に♬
と、私も一緒に歌いました。
中学校の時の先生が教えてくれたと。
こんなに遠くの人が広島の原爆を思ってくださっていたのか?!!
と私は感激しました。関りが下手なんだと言われるこの地方の人たちに、
私は原爆で亡くなった父のことを話すことで話の糸口を見つけました。
ここでも傷が輝く体験をしました。傷が輝くと言えば、この大震災で大きな傷
――土地も家も財産すべてと、心に大きな傷――
を受けられたこの地域の人々ですが、
お話の中でこんな言葉を言われる方があります。
「震災はいいことではないが、悪いことばっかりでもなかった。
あのままでは会うことがなかった、
あんたたちとこうして出会えて大勢の日本中から来てくれたボランティアの人、
学生や高齢の人まで、
外国からも・・・あの事がなかったら、こんな今はなかった!!ありがてぇ~」
と。
また若いご婦人が、
「自分はこの地域の封建的な古臭い風習に縛られて一生を送るのかと、
うっとうしい気分でいたけど、あの震災があって、全国から、
外国からも多くの人が来てくれてこの閉鎖的な空気を破ってくれた!
震災でつらいことはいっぱいあったけど、
あのような大きなことがなければこの空気は変わらなかったと思うと、
別の見方をすれば本当に感謝すべきことだったと思う。」と。
これも傷が輝いたことだと思う。
人生には越えがたいと思うようなことが起こり、
心に大きな傷を負って歩まなければならないことがどんな人にも
起こると思います。
それを傷だけで終わらせないで、輝く出来事に変容させることができるよう、
祈りたいと思います。
それこそがキリストの復活秘義にあずかることだと思います。
私のここフクシマでのミッションを、
多くの方とのかかわりを通して悟らせていただきました。
新しい年にも、小さなことから大きなことまで、傷の輝く体験を、
復活秘義に参与する体験を積み重ねて過ごしたいものです。
今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。
援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
福島民報で2025年6月22日から連日、原発再稼働についての報道がありました。
新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働をめぐって、
原子力委員会の審査に合格した刈羽原発の6号機を
地元住民の了承さえ得られれば再稼働することが決定されました。
地元住民は、能登の地震のような大きな地盤のずれなどによって避難が困難な状況が想定されるとして、
東電が提示している避難の実効性に懸念ありと再稼働に難色を示しているようです。
また専門家も、原発事故は起こりうるとして警告しています。
国と東電は再稼働に前のめりになっているとも報道されています。
原発一基を再稼働させることによって、約一千億円の収支改善が見込めるために、
再稼働を経営再建の柱に据えているのです。
しかしひとたび事故が起これば、この経営再建の見込みも水の泡となります。
それだけでなく、どれほど多くの命を危険にさらすことになるかを考えると、
簡単には賛成と言いかねるのです。
新潟県は2025年11年21日に再稼働にGOサインを出しました。
「のど元過ぎれば熱さを忘れる」との慣用句はもう死語なのでしょうか?
15年経って津波の被災地は、一応の復興を見たとして、カリタスのベースも閉鎖したところもあります。
津波の被災地は県や市町村の努力で復興出来た地域も多いと思いますが、
原発事故の被災地は簡単ではありません。
まだまだ帰宅困難地域もあり、インフラの整備が不十分で帰還しようにも生活ができない現実があります。
また安全宣言がされても、放射能の見えない脅威は、簡単に人の心に安心をもたらしてはくれません。
特に若い世代、子育て世代にはまだまだ警戒心が強く残っています。
原発被災地の復興は100年単位の時間がかかることを覚悟しなければならないと思います。
再稼働や新規の設置をもくろんでいる政府の政策には、大きな疑問符をつけたいと思います。





福山暁の星学院の事務局で29年間、
その前の教員としての働きを合わせるとなんと46年間暁の星にお世話になったことになります。
高校時代の3年間を合計すると、私は半世紀を暁の星で過ごしたことになります。
如何に言っても居座りすぎです。
これからまだまだ暁の星が続いていくためには、後継者が必要です。
私も76歳になっていましたので、
これ以上、労害を振りまくことは、暁の星のために決してプラスではないと思っていたところ、
神様は事務局長を引き受けてくださる方を送ってくださいました。
修道会の長上から「今後の使途職に希望がありますか?」と、
初めて私の希望を聞いてくださいました。
私は迷わず、「もし可能なら、原発事故の被災地フクシマに送っていただければ。」と答えました。
そして、長年希望し続けた望みが実現したのです。あの原発から吹き上がったキノコ雲から、
広島、長崎のキノコ雲が私の中で一つになって、
あのキノコ雲の下で苦しみ不安と戦っておられる人々と一緒に生きることを望ませたのです。
4、5歳の頃一緒に住んだ記憶のあるあのおばさんとおじさんの顔が思い出されました。
鏡に反射した閃光で両眼の視力を失ったおじさんとその介助に苦労しておられるおばさんのご苦労を思い出して、
福島でも同じでないにしても、大変な心労を抱えて生きておられる人々のことが思いやられました。
焦土と化した広島は70年草木が生えないと言われていたにもかかわらず、
真っ赤なカンナの花が咲き、雑草はすぐ芽を出したそうです。
私は毎月11日の月命日に、津波と原発の被災で居住不可となった村上地区を通って、
村上霊園のお墓参り行きます。墓参りしたくてもできない方の思いを心に抱いて。
夏にはその道路わきに真っ赤なカンナが咲いているので、いやでも広島の原爆を思い出させられます。
フクシマは、山林は除染されていないので、
地域によっては、今も自然の山菜は収穫も出荷もできません。
山菜の豊かな地域にもかかわらず、また山菜を採って生計を立てておられた農家さんが多いこの地域に。
なんと皮肉なことでしょう!!
ちょっと脱線しました。
私はこうして2018年3月に福島県南相馬市小高区に開設された援助マリア修道会の南相馬修道院に、
2019年4月に派遣されることになりました。
以前にも書いたと思いますが、この修道院は地元の方の、
「一緒に住んで、一緒に生きてほしい。明かりをつけてほしい」との要望に、
私たちの小さな力でも応えることができると、「共に生きる」ことを目的に創立されました。
私も高齢の身で大きなことはできないので、喜んで地域の中で生きることを望んで参りました。
ここに来て、一番のショックは、自分が何も知らなかったということです。
あれほど行きたいと望んで、福島のニュースは聞き逃さないように、
見逃さないように努めていたと思っていたのに、
国道沿いに並んで見える赤い鉄塔は東京電力の送電線で、
福島で発電して福島人は1アンペアも使うことなく首都圏に送られるということを聞いて、知らなかった!!!
考えてみれば東京電力だから、東京に送られるのは当然なのですが、そこまで頭は回っていなかった。
そしてここに来てくださる方が現地案内を終えて、異口同音に言われることがこのことで、
みんな私とそう変わらない程度の知識なんだと。変に納得。今日はここまで、皆さん良いクリスマスと新年をお迎えください。
援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子

5月の下旬に、カリタス南相馬のスタッフの研修として、
飯舘村長泥地区の視察をさせていただきました。
飯舘村については以前書いたことがありますが、
そんなに記憶に残るようなことでないのでもう一度書きます。
読み進んで、ああ読んだ覚えがあると思われれば記憶装置がまだ正常です。
東電原発事故で、飯舘村も全村強制避難の地域です。
外で活動できない飯舘村の中学生の保養に暁の星の研修センターに招待して、交流したことがありました。
村の大部分が解除された時、長泥地区は住民が少ないという理由で除染されず解除されないことになって、
地区の住民が国に解除の要請をした時、国は除染土を利用する実証実験に応じれば除染をしてやる、と。
住民は実証実験も止むを得ずと了承して、除染が実施され最近帰宅困難区域が解除されました。
しかし、除染され解除されても交通手段もお店も、病院も何もない村に誰も戻ることはできません。
立派な集会所はできていますが、村の人が集うことはないのではないかと思います。
そして、お米やトウモロコシ、野菜の畑を作るのに、放射能汚染された表土をはぎ取って、
高線量の除染土は中間貯蔵施設へ運ばれ、一定の線量以下で資材化された土は畑となるところに入れ、
その上に50センチほど放射能汚染のない山土をかぶせて、畑や田んぼとするのです。
そして実験的に植えたお米や野菜、花などの線量を測って、基準値を超えていないことを確認し、
安全と判断されれば、出荷となるのかと思いきや、そうでないことに驚きました。
今回初めて私たちも知ったことですが、農家さんは避難先の福島市から1時間以上かけて通って、
作物の世話をし、収穫をしても、実証実験は環境省の管轄で、出荷はできないで、廃棄となるのです。
これを聞いて、怒りがこみ上げてきました。お米や野菜はともかく、
口に入るものでないお花は出荷して生産者のお小遣いにでもなればいいのにと!!
今回視察に行った私たちは、実証実験で栽培されたお花をいただいて帰りましたが。
国の政策とはいえ、生産者の方たちの気持ちを踏みにじるようなやり方に心が痛く、
何とか方法はないものかと考え込んでしまいました。
今回直接生産者の方と話し合えたことは、私たちにとって大きな収穫でした。
私たちが小高に住んでいますというと、「小高もおんなじだろう!」と、同情してくださいました。
苦しみを経験された人は他の人の苦しみにも敏感なんだなと感謝しました。
小高はまだまだましです。
電車も通っているし小規模ですが、お店もあります、病院もあります。
(最近のニュースで、長泥地区のお米が今年から出荷できるとの嬉しいニュースがありました。)
福山暁の星学院の事務局で働いていた時のことです。
暁の星小学校の体育館が古くなって、建て替えが必要になりました。
改築計画の中で資金調達が一番大変な懸案事項で、少子化の波が近くやってくる予想の中で、
数億円かかるこの事業の資金をどのように調達できるのか頭の痛い課題でした。
全国のカトリック学校や教会、企業の寄付を仰ぐことで、乗り切ろうと、
準備を重ね最終段階の寄付金の依頼書を書き上げ、郵便振り込みの手数料無料、
切手不要の手続きのために、2011年3月11日午後、福山東郵便局に行きました。
手続きを終えて郵便局を出た時、午後からの仕事がどれだけできるかと、
腕時計を見たのが午後2時45分でした。
車で学校に帰ってみると、
「シスター大変!!」と受付の職員が血相を変えて
「東北が大地震で大変な様子です!」と教えてくださいました。
テレビの臨時ニュースを見て、
「こうしちゃおられんよ!寄付金は、うちよりこっちに必要だから、
今やってきた手続きを取り消しに行ってくる」と言って、すぐ福山東郵便局へ取って返し、
「先ほどの手続き、キャンセルします。止めてください!東北が大地震です!ニュースを見てください」と。
それからは皆さんも同じだと思います。
テレビのニュースにくぎ付けです。
次の日もっと大変なことが起こりました。
東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故、次々と爆発、放射能の拡散・・・
外国メディアから、広島・長崎を思い出させる、きのこ雲の写真。
これを見た時、これはただ事じゃない!!一大事!!子供のころ、
放射能の恐ろしさをいやというほど聞かされたことを思い出しました。
さすがにあの皮膚の垂れ下がった幽霊のような姿の報道はありませんでしたが、
広島の原爆で内部被爆のため多くの人が外面的な傷がないだけに人知れず苦しまれたことを知っている私は、
この事故にあわれた方々の苦しみを想像しました。
そして、遠いところの、心が痛んでおられる方々のそばで、
私でも何かお役に立てることがあれば、飛んでいきたいと思いました。
でも現実には小学校の体育館の建て替えのこともあるし、
福山暁の星学院の事務局の仕事を引き継いでもらえる人は急には現れないし、
自分の本文をしっかり果たすことで、心を寄せ、祈りながら、情報を集めながら時を待ちました。
広島で肥田舜太郎先生
(以前書いたと思いますが、広島の原爆の時、郊外に往診に出ていて助かったお医者さん)の講演がありました。
福島の原発事故と原爆との関係について、目に見える被害はなくても、放射能を吸い込んだり、汚染された水、
野菜などの摂取によって内部被ばくの恐れがあることを強調されていました。
このお話を聞いて、私はもっと強く福島の人々と共に生きることを望むようになりました。
その後の展開は次回に譲ります。
今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。
援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
